「音とかたちの出会い〜伊砂利彦とドビュッシーをめぐって〜」プレトーク
槙田 盤
発行年月: 20060420
掲載 : 京都芸術センター通信「明倫art」Vol.72 2006年5月号 音楽レビュー
発行元 : 京都芸術センター
「音とかたちの出会い〜伊砂利彦とドビュッシーをめぐって〜」プレトーク
京都芸術センター講堂 2006年2月17日(金)19:00-
すぐれたピアニストであると同時に音楽学者でもある青柳いづみこが、得意とするドビュッシーの前奏曲集を、その曲をモチーフとして伊砂利彦が制作した白黒の版画のような型染の作品の前で演奏した。しかも、ただ演奏するだけでなく、その作品について型染作家と演奏家が語りあうのであるから、音×形×言葉、三つどもえの勝負である。
旧明倫小学校の講堂には、そこで70年以上前から音を響かせているペトロフ社製のピアノが鎮座し、そのうしろに前奏曲集第1巻12曲分の伊砂作品がかかげられた。その下で伊砂が語るには、シリーズの3分の1は曲を聴きながら、3分の1はタイトルにある言葉からのインスピレーションでできたそうだ。そして、「あとの3分の1は困った」と少し恥ずかしそうにおっしゃる。同じドビュッシーの曲でも「ラ・メール(海)」は作品にならなかったというから、音楽と形とが近すぎてもダメなようだ。青柳は、演奏するときには伊佐作品のイメージはまったく頭にない、といいながらも、各楽曲の構造と伊佐作品が呼応している関係を言葉で的確に表現し、それをトレースするような演奏を計6曲も聴かせてくれた。
伊佐は、友禅染の伝統を継承する立場にありながら、「模様から模様を作らず」、自然の風景、水の流れるさまを写生する中で、より根源的な「形」を見いだそうとし、ピアノ音楽の中にそれを発見するに至った。青柳は、その造形の中に、音楽に込められた原曲の文化誌的情景を見いだし、それを音に還元している。そのどちらもが、日本の風土や歴史から切り離された「かわいた」表現になっていることがおもしろい。そしてふたりは、年齢差やジャンルの違いを超えて、ひょうひょうと語りあう。木炭で線を引いたり紙を切ったりするときには、手先だけを動かすのではなく、からだ全体を動かすのだ、と、伊砂が技法の話をすると、その姿はダンスをしているように見えるのでは、と青柳がいい、続けて、「伊佐先生は実はきまぐれでおちゃめなのではないか、真夏の夜の夢の妖精パックのようなところがある」と、11番目の曲「パックの踊り」を弾き始めたあたり、当夜のクライマックスであった。
(まきた ばん/(株)シィー・ディー・アイ主任研究員、音楽学者
文化事業企画・調査・研究に携わる。/さいきんiPodを耳に街を歩くようになって、あらためて、音楽に救われていると感じております。しかしそれを表現するのはむずかしいことです。
槙田盤 MAKITA Van