パラレルな世界、バイオリズムの共鳴
発行年月: 20070620
掲載 : 京都芸術センター通信「明倫art」Vol.86 2007年7月号 音楽レビュー
発行元 : 京都芸術センター
パラレルな世界、バイオリズムの共鳴 槙田 盤
「継ぐこと・伝えること35 能楽囃子 「ま」と「いき」が生み出すイマジネーションの世界」
2007年5月12日 京都芸術センター 講堂
お能の音楽的要素は、語り歌われる謡(うたい)と、楽器による囃子(はやし)に大別できる。囃子方なしに謡だけで歌われる素謡(すうたい)は、研修あるいは簡略的上演方法としてしばしばおこなれるが、囃子だけが演奏されることはめったにない。この日は、笛(能管・森田保美)、小鼓(吉阪一郎)、大鼓(河村大)、太鼓(前川光範)の4人の囃子方のみによる演奏をじっくり味わうことができた。
能における楽器の音は、能楽師の舞や謡にあわせて演奏されているようにもみえるが、一致していないことも多い。楽器どうしの関係もぴったりしたものではなく、まじわったり離れたりしながらパラレルに進んでいるようだ。しかし、彼らは厳密に譜面に従って演奏しており即興的に勝手に演奏しているのではない、という。指揮者もおらずリハーサルもしないが、かんたんに「寸法」だけを打ち合わせて本番に臨む、とのこと。伝承は楽器ごと、流派ごとにおこなわれており、いわば設計図としては一つのものに仕上がるものを、独立した自営業者が別々に組み立ててみせる構造だ。
進行役の音楽学者・中川真との対談の中で、小鼓の吉阪から「あわせにいった結果としてあった、としても気持ちよくない」との発言があった。伝承されている譜面に厳密に従っているが、拍そのものが、のびたりちじんだりするともいわれた。自分の内的な時間の流れが演奏を決めるのであり、妥協してほかの人にあわせようとはしないが、その流れのバイオリズムが深いレベルで共鳴し、結果としてでてくる音が調和する、というのが理想のようだ。たしかに直感的に高揚を感じる瞬間はいくどもあったが、その同じ瞬間に演奏者たちは気持ちよかったのだろうか。他の人たちも同じように感じていたのだろうか。もしかしたら気持ちよさを感じるパターンは経験によって異なり、人それぞれに訪れるものかもしれない。能の音楽への理解は深まったようだが、そのぶん謎も深まったようだ。
この企画は芸術文化のプロデュースなどを目指す若者6名が講座「コーディネーター・スプラウト2006」を受けながら、みずから企画し実現させたものとのこと、芸術センターの実践と人材育成の役割とが合致したイベントであった。当日のビデオや語られた内容などをセンター図書室やウェブ上で公開できれば有意義ではないか。
まきた ばん/(株)シィー・ディー・アイ主任研究員、音楽学者
文化事業企画・調査・研究に携わる。/藤田隆則「「のる」ことの作法」(季刊人類学 1988)をひさしぶりに読み返した。当時まったくわかっていなかったが、全体的構造としての理解と、個々の音、出来事への理解とが別々になされた上で、その緊張関係によってたちあらわれるノリを楽しむもの、なのかな。
槙田盤 MAKITA Van