文化ボランティアはだれを助けているのか?

槙田 盤

発行年月: 20070825
掲載  : 現代風俗研究会年報第29号『現代風俗 応援・サポート・人助けの風俗』 pp.150-151
発行元 : 新宿書房 ISBN978-4-88008-371-1 2,200円+TAX


現代風俗研究会・年報第29号 原稿
【コラム 人を助ける仕事】文化ボランティアはだれを助けているのか?

 人助けといっても、芸術家を助けているというのは、あまり切羽詰まった感じではない。昔は王様、貴族、大金持ちがパトロンとなって、きらびやかな芸術活動がおこなわれていたらしいけれど、今の世の中、芸術家のほうがお金持ちで、余裕があるから好きなことに勝手にやっているのでしょ、というイメージのほうが強い。多くの人はタダで見ることのできるテレビで十分、お金を払ってまで見る必要はない。という感じだ。
 人気の出ていない役者や歌手のファンとなり、チケットを買い友人を誘って、結果的に応援しているという人ならいくらでもいる。こういう人が多くいて、その文化芸術活動を支えているのはたしかだ。車を買ってあげたり,家を用意してあげるほどのお金持ちも少しはいるらしいけれど、そういう人だけがその芸術家を支えている訳ではない。「文化ボランティア」という肩書きで、コンサートにおける裏方の仕事のお手伝いをする人もいれば、病院や介護施設に出向いて演奏を聴かせたりする芸術家もいる。この人たちは、文化芸術活動によってだれかを人助けしているのだろうか。

 プロの芸術家といっても、舞台芸術系ならば、しろうとに教えることが収入の大部分であるという人がほとんどだ。そういう人が舞台に立つときには、教え子や関係者は、勉強半分、お義理が半分でチケットを買わされるのが通例であり、この場合、客席を埋める人の支払いによって芸術家は助けられている構造だ。また、おけいこごととして習っている人が出演者となる発表会であれば、その経費を出演者が負担するのは当然とされており、自分で自分を助けていることになる。
 興行をビジネスとしておこなっている場合であっても、その収支が黒字になるケースはいくらもないだろう。直接経費だけでなく、準備や練習に必要な環境の確保、人材育成などに必要な時間やお金のことを考えると、割のいい商売とは思えない。赤字部分の補填として補助金を獲得したり、会場費などの優遇を受けられることもあるが、その場合は、何らかのスポンサーによって助けられていることになる。その会場となるホールそのものも、多くは自治体などがパブリックに作ったものがほとんどであり、その公的資金の投入によって助けられているともいえる。
 芸術が成立させるためには、いろいろなレベルでの画策が必要であり、また現場ではマネージメントの仕事も必要不可欠なことは確かだが、それをするために芸術家はいるわけではない。新しい文化芸術の表現を生み出したい、あるいは、世の中で必要とされる喜びを作り出して人々の前に差し出してあげたい、という気持ちがまず最初にある。その結果、自分の表現が受け入れられること、喜んでもらえれば、それが芸術家にとって大きな精神的収益となる。
 その喜びは享受する側、観客の側もまた同じである。新しい文化芸術の表現を見たい、心豊かな喜びを味わいたい、から会場に足を運ぶのである。そうした満足感はお金や時間をかけたからといって得られるとは限らないが、だからこそ、時に得られる感動は大きなものとなる。またそれは、受け取り手である自分の精神状態にも大きく左右される。感動は主体的にもぎ取るものでもある。お金を払ったからといって、芸術家は表現する側で、観客はそれを受け取るだけ、という一方的な関係ではない。芸術家と享受者とは、双方向に助けあっている、といってもよい。
 しかし、最近よくきかれる「文化ボランティア」という言葉は、そういう理解を否定する。文化ボランティアさんは、文化活動を助けるためのボランティアとして、コンサートにおける裏方の仕事のお手伝いをしたり、より多くの人に聴いてもらえるように広報するのを手伝ったりする。この人たちは芸術家の活動を直接的に手助けし、また観客の助けともなっているが、その場で生まれる感動を共有し、助けられているようにはみえない。
 また、病院や介護施設を訪問して演奏を聴かせたりする(しろうとの)芸術家も文化ボランティアと呼ばれる。文化芸術によって困っている人を助けようとしているらしいが、それは文化ボランティアと名付けられていない文化芸術活動となにが違うのであろうか。聴いてほしいから人のところに出向いて演奏する。その結果、喜んでもらったらわたしもうれしいし、もしかしたらその人の助けとなれるかもしれない。しかし、文化ボランティアとして助けてあげます、というのはおかしい。
 ボランティアと名乗った瞬間に、文化芸術活動の基本的な性格である「助け」「助けられる」の双方向の関係が失われるのではないか。

 世の中が複雑になり、自分の生活がつらくなればなるほど、文化芸術の必要性は高まるであろう。くだらない人生を過ごし、嫌なことばかりだが、音楽に救われ、少しでも心の平安を得ることができていることを、わたしはとてもありがたく思っている。音楽に助けられているのは、わたしのほうだ。



槙田盤 MAKITA Van