桃太郎は死んだのか

槙田 盤

発行年月: 20070920
掲載  : 京都芸術センター通信「明倫art」Vol.89 2007年10月号 音楽レビュ−
発行元 : 京都芸術センター


桃太郎は死んだのか  槙田 盤
マルガサリ/創作ガムラン舞踊劇「桃太郎」
2007年8月21日、22日  一心寺シアター「倶楽」(大阪)

 「桃太郎」は、中川真(企画監修・音楽学者)が設立したマルガサリが、野村誠(音楽監修・昨年度のNHK教育テレビ「あいのて」でも知られる作曲家)らとともに、2001年から毎年1幕ずつ5年かけて作り上げたもので、昨年度はじめて通して上演され、今回はその2時間凝縮版として上演された。
 舞台一面に並べられた鉄琴や木琴、太鼓といったガムランのセットをかきわけるように役者が出てきて演技をする。演技するのは役者だけでなく、演奏者が突然セリフを言ったり、役者として踊り始めたりする。ガムランを基本とする世界の中で、演奏と演技、物語と即興的な展開とが未分化のまま示される。2幕、奈良県の民俗芸能を題材とした盆踊りがガムランの伴奏で披露されるのも違和感がない。3幕では、犬、猿、雉子が、ロックやド演歌を(やはりガムランの伴奏で)披露するのもおかしい。
 休憩をはさんで第4幕、とつぜん鬼が島で戦いが始まる。佐久間新(舞踊監修・インドネシア舞踊家)の踊る大鬼は圧倒的に強く、桃太郎たちは歯が立たないがが一歩も譲らない。ガムランによる演奏は、音によって戦いを表し、踊り手を挑発するだけでなく、楽器に手をかける踊り手とケンカ腰で対峙し、舞台の上は、踊りと演奏と戦いの演技の区別のない混沌とした状況となる。わたしが見ていた回(21日)では、桃太郎は大きな銅鑼を叩くバチを拾って大鬼に殴り掛かり、大鬼の面が割れて破片が飛び散る事態となった。戦い、暴力のもつ理不尽さ、恐怖感が舞台表現として圧倒的で衝撃的であった。みんな死に、最後に桃太郎は死ぬ。大鬼だけが残り、最後5幕をひとり静かに演じる。
 ガムランの演奏だ、あるいは舞踊による劇だ、といった安定的な芸術体験ではなかった。もしかして客席のわたしたちも襲われるかもしれない、どうして世の中に戦いが絶えないのだろうと、考えさせられる舞台であった。本当に桃太郎は死んだのであろうか。余韻の残る舞台であった。
 マルガサリは、この作品によって、ガムランの演奏集団から演劇や舞踊にも積極的に参画する多元的表現集団へと成長した。そして現代の日本人が自らの伝統文化と世界の民族文化に向き合って、いま、ここで、大きな意味を持つ舞台を作り上げた。

まきた ばん/(株)シィー・ディー・アイ主任研究員、音楽学者
文化事業企画・調査・研究に携わる。/カンボジア・サーカス学校による「ストリートギャングたちの休日」(8月7・8日 ALTI)は、洗練されたものではないが、子どもたちの生きる力、素朴な魅力があふれた舞台であった。


槙田盤 MAKITA Van