百年前の銀行で二百年前のピアノに出会う春

槙田 盤

発行年月: 20080520
掲載  : 京都芸術センター通信「明倫art」Vol.97 2008年6月号 音楽レビュ−
発行元 : 京都芸術センター


百年前の銀行で二百年前のピアノに出会う春  槙田 盤
大井浩明「Beethovenfries 第一回公演 《ボンからやって来た爆弾低気圧》」
2008年4月24日  京都文化博物館 別館ホール

 ベートーヴェンの曲を、作曲当時に使われていたピアノで、若いときの作品から順に弾いていこう、というシリーズの第1回、作曲家としてデビューした1795年、25歳頃のピアノソナタが4曲演奏された。使用されるフォルテピアノ(ヨハン・アンドレアス・シュタイン)は、木目調で足も細く音域も5オクターブしかない。調律も少し低く、十二等分の平均律ではない。弦を叩くハンマー周辺の仕組みが現代のピアノと異なり、指の動きが音に繊細に反映される。そのため、音が発せられ消えていく姿が多様で、それが分散和音、あるいは全音階や半音階で上がったり下がったりするだけで楽しい。連続する重和音も軽やかで、音色も多彩である。まるで噴水から水が飛び出して、いろんな軌跡を見せているようだ。
 大柄なピアニストが小さな楽器に背中を丸めて向かっている、という見かけ以上に、ピアノと身体との関係が近しいように感じる。自分が子どもの頃、ベートーヴェンの初期のソナタを弾かされたときには、ドテドテした演奏しかできなかったものだが、こんな演奏がありうることを知っていればピアノに対する意識も変わっていただろうに、と思う。ベートーヴェンの作風の変化とピアノという楽器の改良はパラレルに進行しているといわれているが、今回の4曲だけでも、あとの作品になるほど、ソナタ形式の中にカデンツ的な展開が現れたり、メロディーが大胆に跳躍し着地するのが目立つようになり、その後のピアノの進化をうながしているようにも聴こえる。シリーズを通して聴けば、楽器という技術的制約と作曲家の創造性との間で相互作用がおこっていたことを実感することができるであろうか。
 この演奏会シリーズでは、その回で演奏する曲を作曲した頃のベートーヴェンの年齢に対応する作曲家に、そのベートーヴェンの時代のフォルテピアノで演奏するため委嘱された新作が初演される。第1回である今回は、小出稚子による「フォルテピアノ独奏のための《ヒソップ Hyssop》」が演奏された。音が重なり、ぶつかり、ころがる様は美しく、真珠のネックレスが切れて散らばるようであった。時は春。乾いた不安、おちつかないんだけど、なんだか楽しい気分になった。二百年前の楽器の音色が、当時ではありえない現代的な響きを持って立ち現れていた。
 大井は京都の生れ育ちで、京都大学に入るも独学でピアノを学びスイスへ留学、超絶技巧の現代曲からチェンバロ、オルガンまで弾きこなす異才なピアニストとなった。このコンサートシリーズは、来年3月まで13回続くとのこと。現代のピアノしか知らない人なら特に、1度聴くだけで耳が開かれること間違いない。

まきた ばん/大学職員、音楽学者
会場となった京都文化博物館の別館ホールとは、赤レンガづくりの旧日本銀行京都支店(1906年竣工)のこと。天井が高く反響もあるが防音効果も高い。終演後にワインでも飲んで余韻を楽しみたいところだ。いや、楽しげなお店も歩く人も増えた三条通に繰り出すのもいいかな。


槙田盤 MAKITA Van